序章 物理学は、一度完成した

ニュートンからラプラスの悪魔、そしてファインマンまで

高校物理で習った F=ma は、間違っていません。むしろ正しすぎるほど正しい。
にもかかわらず物理学は、この式の上に解析力学を積み、さらにその上に量子力学を積みました。

なぜそんなことをしたのか。
理由をたどっていくと、物理学は「公式の一覧」ではなく、一本の物語として読めるようになります。

1687年 — 世界は解けた

ニュートンが『プリンキピア』を出したのが1687年です。
手から落ちるりんごと、空をめぐる月。それまで別々の世界の出来事だったものが、たった一本の式で同じ運動として書かれました。

18世紀に入ると、オイラー、ダランベール、ラグランジュ、ラプラスといった人々が、この式を扱う技術を磨き上げていきます。
やがて力学は、説明の道具から予言の道具に変わりました。

ハレーは、ある彗星が1758年ごろに戻ってくると計算しました。
彼の死から16年後、彗星は本当に戻ってきました。

1846年には、ルヴェリエが天王星の軌道のごくわずかなずれだけを手がかりに、まだ誰も見たことのない惑星の位置を紙の上で割り出します(イギリスのアダムズも独立に同じ計算に辿り着いていました)。
ガレがその方向に望遠鏡を向けると、海王星がそこにいました。

計算が、空を指さした。
物理学はそういう段階に入っていたのです。

ラプラスの悪魔

この成功を極限まで推し進めたらどうなるか。
ラプラスが1814年に書いたのが、次の知性です。

ある瞬間に、宇宙を構成するすべての粒子の位置と運動量を知り、そのすべてに運動方程式を適用できる知性がいたとしよう。
その知性にとって、未来はすでに起きたことと変わらず、過去もまた目の前にある。
不確かなものは、何ひとつ残らない。

ラプラス『確率についての哲学的試論』(1814年)の主張を要約したもの。のちに「ラプラスの悪魔」と呼ばれます。

これは思いつきの誇張ではありません。ニュートン力学を素直に信じたときに、論理として出てきてしまう結論です。
世界は巨大な時計仕掛けで、いまの状態が次の状態を一意に決める。

であれば、物理学に残された仕事は精度を上げることだけではないか。
19世紀の終わりには、本気でそう考えられていました。物理学は、一度完成したように見えたのです。

しかし、2つのことが起きた

見えただけでした。
このあと、性格のまったく違う2つの出来事が起こります。

① 力を使わない力学が現れた

ひとつ目は、量子力学よりはるか前に起きています。

モーペルテュイとオイラーが1744年ごろに「自然は何かを最小にするように振る舞う」と言い出し、1788年にラグランジュが、1830年代にハミルトンが、それを完全な理論に仕立てました。
そこには力という言葉が一度も出てきません。にもかかわらず、答えはニュートンとぴたりと一致します。

当時これは、計算を楽にする便利な技法として受け入れられました。
けれど、居心地の悪い問いが残ります。

ボールはまだ飛んでいないのに、どうやって「一番マシな道」を選んだのか。
力に押されて結果的にそうなった、という話ではありません。行き先を含む経路の全体を、あらかじめ比べたように見える。
まるで自然が目的を持っているかのようです。

② 悪魔の前提が消えた

ふたつ目は20世紀です。
プランク、アインシュタイン、ボーア、ド・ブロイと続いた探求の果てに、1927年、ハイゼンベルクがこう示します。
位置と運動量を同時に確定した値として持つ粒子は、そもそも存在しない。

この探求が実験によってどう追い詰められていったかは、第3章 入門編「量子力学の誕生」で順にたどります。

測定が乱すから知ることができない、という話ではありません。
両方が同時に定まっている、という状態そのものが自然界にない、ということです。

これはラプラスの悪魔にとって致命的でした。悪魔は計算が遅かったわけではない。
悪魔に与えるべき入力のほうが、この宇宙のどこにも存在しなかった。

ついでに言えば、量子力学が確率的なのは測定について語るときの話で、波動関数そのものの時間発展は今でも決定論的です。
悪魔が失ったのは計算能力ではなく、「粒子は一本の軌道を持っている」という前提のほうでした。

そして、①の謎に②が答えた

ここがこの物語のいちばん面白いところです。

1948年、ファインマンが経路積分という形式を作ります。その答えはこうでした。
自然は一番マシな道を知っていたのではない。あらゆる道を、同時に通っている。

粒子は波として全部の経路に広がり、経路ごとに位相を持ちます。
でたらめな経路は隣どうしで位相がずれて打ち消し合い、消えてしまう。
打ち消し合いを生き延びるのは、作用が極値になる経路のまわりだけです。

ラグランジュが見つけた「気味の悪い原理」は、目的論ではありませんでした。
量子の干渉が、私たちの世界に落とした影だった。

ニュートンが引いた一本の線は、そうやって最後にもう一度、まったく別の理由で引き直されます。

3つの視点

ここまでの物語を、3つの視点として並べ直します。
投げたボールが描く放物線。たったひとつのこの現象が、視点を変えるたびに、まったく違う理由で説明されます。

  • 視点 1

    ニュートン力学 — 力から運動を求める

    物体に働く力をすべて数え上げ、運動方程式を解く。いま働いている力が、次の瞬間の速度を決める。
    放物線は、一瞬ごとに下へ引かれ続けた結果として現れる。

  • 視点 2

    解析力学 — エネルギーから運動を求める

    運動エネルギーとポテンシャルエネルギーから「作用」という量を作り、それが極値になる経路を選ぶ。力は一度も出てこない。
    放物線は、始点と終点を結ぶ無数の経路から選ばれた1本として現れる。

  • 視点 3

    量子力学 — 波の重ね合わせから運動を求める

    粒子は波として全部の経路に広がり、経路ごとの位相が干渉する。
    放物線は、打ち消し合いを生き延びて残った縞として現れる。

次の章

第1章 ニュートン力学 — 力から運動を求める

物語の出発点に戻ります。原理として覚えるべきなのは3法則だけで、高校力学の大部分はその事例集である。
第一法則が計算の「舞台」を決め、第二法則を空間と時間で集めるとエネルギーと運動量が出てきます。